1. ごあいさつ
  2. 博多どんたくの由来
  3. どんたくミニ知識
  4. 博多どんたくの歴史
  5. 博多松ばやしについて
  6. 花自動車の歴史・略歴
  7. ぼんち可愛いや
  8. 松ばやしの位置情報

ごあいさつ

福岡市民の祭り振興会 名誉会長  髙島宗一郎(福岡市長)
福岡市民の祭り振興会 会長  谷川浩道 (福岡商工会議所会頭)

皆様、ようこそ『博多どんたく港まつり』へお越しいただきました。心より歓迎申し上げます。
『博多どんたく港まつり』は、今からおよそ840年前の治承3年(1179年)に始まったとされる伝統的な民俗行事『博多松囃子』を起源としています。長い歴史の中で受け継がれ、先人たちの知恵と努力で幾多の困難を乗り越え、昭和37年(1962年)に市民総参加の『福岡市民の祭り』となり、今年で61回目を迎えます。そして、今日では国内外から200万人以上の人出で賑わう日本有数のお祭りとなっております。
今回のサブタイトルは『伝統を継承 どんたくの源流「博多松囃子」がゆく!』です。

今年も個性あふれる多彩な“どんたく隊”が、明治通りの「パレード」や市内各所に設置された「演舞台」でパフォーマンスを披露します。博多のお祝い事である『博多どんたく港まつり』で市民の皆様に笑顔や元気を届けて、福岡の街を盛り上げてまいります。
最後になりましたが、『博多どんたく港まつり』の開催に際し、各方面から賜りましたご支援ご協力に対し、心より厚く御礼申し上げます。

博多どんたくの由来

写真:どんたくの昔

「博多どんたく」は、治承3年(1179年)に始まったと筑前国続風土記(貝原益軒著)に記されている「松ばやし」をその起源とする凡そ840年余の伝統行事である。
筑前国続風土記には、『平安時代、京都御所の正月、宮中参賀の行事が地方に伝わり、この博多では源平時代のち冶承3年(1179)、正月15日、松囃子を取行う…』とある。
以来、祝いあう行事をシャレッ気の多い博多町人が発展させたものである。

古い文献によれば今から400年前、筑前の領主となった小早川秀秋の居城(東区名島城)へ博多の町人が松囃子を仕立て年賀のお祝いに行ったと記されている。その後、黒田藩の城下町となった「福岡」と博多町人の町「博多」との二つの町が270年間、博多松囃子を通じて交流している。

明治5年、新政府より下りてこられた県知事によって松囃子・山笠共中止させられたが、その後、明治12年に再開され「博多どんたく」と呼ばれるようになった。オランダ語のZondag(ゾンターク、休日の意)がその語源と言われている。

戦時中、一時中断されたが、戦後の昭和21年5月、「松ばやし」と「どんたく」が8年ぶりに復活。肩衣を紙で作り、馬はハリボテを首から胸に下げ、三味線、太鼓などは戦災を免れたところから借り集めて、“博多どんたく”のおはやしを瓦礫の町に響かせながら練り歩いたことが、復興へ大きな勇気を与え、翌年22年には福岡商工会議所が中心となって、戦後初めてのどんたくを開催した。
その後、年に一度の無礼講の行事として年々盛んになっていった。

昭和37年、「どんたく」は、市民総参加の『福岡市民の祭り「博多どんたく港まつり」』となり、現在に至る。毎年5月3・4日の2日間、老若男女が思い思いの仮装でシャモジを叩いて町を練り歩き、町に作られた舞台、広場で踊りを披露し、町中がどんたく一色で湧き返る。参加どんたく隊のべ約650団体、出場者約3万3千人、見物客約200万人、春のゴールデンウィーク期間中、日本で一番の祭りといわれるようになる。

どんたくミニ知識

一束一本 (いっそくいっぽん)

画像:一束一本 (いっそくいっぽん)

松ばやしの通りもん(行列)を迎える側はお祝儀の「1束1本」を用意する。半紙1束と白扇1本のことで、三方に乗せて渡す。

粋な肩裏 (いきなすらせ)

画像:粋な肩裏 (いきなすらせ)

博多どんたくの衣装、羽織をするりと裏返せば、これが古くから伝わるどんたく参加衣装。博多っ子の粋がのぞく。

どんたくの語源

画像:どんたくの語源

どんたくの語源はオランダ語のZONDAG(ゾンターク…休日)。いまでも全国的によく使われる半ドンも半分ドンタクという意味。これが各地に広がって方言化したが、博多ではカラリと陽気な祭りの名になった。

シャモジの起り

画像:シャモジの起り

昔、商家の前をどんたく囃子が通りかかった時、そのオハヤシの見事な音色に夕食を支度中の商家のオカミさんが浮かれだし、手にもっていたシャモジを叩いてオハヤシに加わったことから始まる。

2014年1月14日

博多どんたくの歴史

第51回から第59回

写真:第51回式典の様子
第51回
写真:第52回式典の様子
第52回
写真:第53回の様子
第53回
写真:第54回の様子
第54回
写真:第55回のパレードの様子
第55回
写真:第56回の様子
第56回
写真:第57回のどんたく広場の様子
第57回
写真:第58回の様子
第58回
写真:第59回の様子
第59回

博多どんたく略年表

治承3年(1179年)

博多松ばやしが始まると言われる。
「博多にて正月15日松囃子と云う事を取行う。」
(貝原益軒著・筑前国続風土記)

天文8年(1539年)

明国「せき鼎八唐記」に「遣明船使節を博多の人々が松囃子にて送る」とある。

天正15年(1585年)

博多の町割り豊臣秀吉の許しをえる。(町流れの誕生)

文禄4年(1595年)

中納言郷(小早川秀秋)名島城にて博多松囃子「福神・ゑびす等、正月のように仕立ててお祝いをした。そのお礼に銭50貫頂いた。」とある。

慶長5年(1600年)

黒田長政が父如水と共に博多に移封され福岡城の築城にかかった。

寛保元年(1741年)

太閤町割りの七流れに従って松囃子と黒田藩とのかかわりあいや町々の賑いが「博多那の津要録」巻13・19・26に明記されている。

明治5年(1872年)

福岡県知事の命令で松囃子の禁止令が出る。

明治12年(1879年)

11月11日出版の紀元節「福博祝の評判」によると「稚児・三福神のほか113組の通りもん有り、…」この年、松囃子の復活が駄目ならば「お祝いのどんたく仕りたく…」と言葉をかえて云った事に始まる。(どんたくのことばの起り)

明治22年(1889年)

博多部と福岡部が合併して福岡市となる。

明治38年(1905年)

「ポンチカワイヤ」の江戸のくさり(鎖)うたが洋楽として演奏される。

昭和16年(1941年)

大東亜戦争の為中止となる。

昭和21年(1946年)

5月24日:戦災の中より「復興どんたく」を祈って紙ハッピ・タッツケで松囃子がスタートした。

昭和24年(1949年)

新憲法発布を祝して開催日を5月3日・4日と定め、今日に至っている。

昭和36年(1961年)

どんたく前夜祭を5月2日・福岡スポーツセンターで始める。

昭和37年(1962年)

「福岡市民の祭り」と位置づけられ近代的な祭りとなって行く。

昭和47年(1972年)

「どんたく広場」が開設される。

昭和60年(1985年)

全国警察音楽隊がどんたく広場をパレードする。

昭和61年(1986年)

どんたく復活40年、市民の祭り25周年、どんたく広場開設15年となり、5月3日・4日共連休となる。

昭和63年(1988年)

「どんたく広場」を明治通りに移行。

平成3年(1991年)

市民の祭りとなって30回を祝して繰り広げた。

平成4年(1992年)

2月12日福岡市民の祭りとなり、30周年を祝って記念式典をソラリア西鉄ホテルで開催する。

平成5年(1993年)

皇太子様のご結婚を祝って、テーマは「皇太子殿下 御成婚おめでとうございます」。

平成6年(1994年)

「博多どんたく隊」シンガポールの「チンゲイパレード」に参加。

平成8年(1996年)

市民の祭りとなって35回を祝して繰り広げた。

平成13年(2001年)

市民の祭りとなって40回を祝して繰り広げた。

平成23年(2011年)

市民の祭りとなって50回を祝して繰り広げた。
50周年記念誌を発行し、ソラリア西鉄ホテルで記念式典を開催した。

令和2年(2020年)

3月16日「博多松囃子」が国の重要無形民俗文化財に指定された。
市民の祭りとなって59回は新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止とした。

国重要無形民俗文化財 博多松ばやしについて

写真:福神の面のパレード
写真:男恵比須のパレード
写真:舞台の様子
写真:馬に乗る大黒の面

博多松ばやしは4つの流れで形成されており、どんたくパレードの幕開けを飾るほか、市中を祝って廻る。 福神は福禄寿に因んで、張り貫きの長い頭をかぶり、福神の面をつけ、白無垢の上に黄絹の打ち掛け、手に唐うちわ。馬にまたがる。 恵比須は珍しい夫婦恵比須。男恵比須は烏帽子をかぶり、恵比須の面をつけ、右手に釣りザオ、左わきに大ダイを抱き、錦のそでなし羽織姿で馬に乗る。女恵比須は天冠をかぶり、左手に玉を抱く。桧扇を手に赤いはかまで馬に揺られる。 大黒は黄絹の頭巾をかぶり、大黒の面。緞すの服に白ばかまで大きな紗金袋を背負う。手には打ち出の小ヅチ。米俵を左右につけた馬に乗って進む。どの馬も、カミシモ、たっつけ姿の男たちの一団に囲まれ、それぞれの行列には力サボコ各三本がつく。 稚児は天冠をかぶり、舞衣に緋のはかまをはいた少女を乗せた棧敷台を引く。要所要所で地謡い、ツヅミに合わせ優雅に舞う。これにも一団の大人たちが付き添う。

日時5月3日から4日 9時から17時
場所市内一円
内容国重要無形民俗文化財「博多松ばやし」の三福神(福神・恵比須・大黒)の3流れと
稚児流の合計4流れが市中を祝って廻る。

花自動車の歴史・略歴

花電車・花自動車の歴史

花電車・花自動車の歴史は、古くは明治時代にまで遡ります。 西日本鉄道(株)の前身である九州電気軌道(株)や福博電気軌道(株)などが、路線の開通式その他の祝事に際して運行したという記録が残っています。「博多どんたく」で運行するようになったのは、戦後同イベントが復活した昭和21年から2年後の昭和23年からです。簡単な歴史は下記のとおりです。

花電車・花自動車の略歴

明治43年3月

西鉄の前身会社、福博電気軌道株式会社の西公園~大学前間(現在の福岡市明治通り)が開通。この時初めて福博の街に花電車が登場しました。

昭和23年5月

福岡市内線に戦後初の花電車登場(3両で運行)。戦災の跡が残る福博に灯をともしました。

昭和31年5月

車体に飾られたキャラクターが動くようになりました。

昭和49年5月

オイルショックのため電飾なしの花電車となりました。

昭和50年5月

電飾の花電車が復活しました。

昭和50年11月

福岡市内線廃止にともない、最後の花電車が運行しました。

昭和53年5月

花自動車として復活しました。(3台で運行)

昭和56年5月

花自動車が6台に増えました。

2014年1月15日

ぼんち可愛いや

「ぼんち可愛いや」とは

「ぼんち可愛いや寝んねしな 品川女郎衆は十匁
十匁の鉄砲玉 玉屋が川へスッポンポン」。

これはしりとり歌で、江戸で流行したのは幕末かららしい。「品川女郎衆は十匁」の歌詞から『国々色里あたい付』をみると、品川は文化・文政頃がこの値段になっている。この歌の元文は長く「牡丹に唐獅子、竹に虎、虎を踏まえた和唐内…」から始まって延々と続く。そして最後のところに「坊やはよい子だ寝んねしな、品川女郎衆は十匁…」と出てきて、この後にも歌は続く。これが「ぼんち可愛いや…」と大阪言葉に変わったのは明治になってから。
博多の河原田平兵衛さんが菓子の修行に東京栄多楼に弟子入りし、職場で歌を覚えて帰り、博多下呉服町で栄松堂という菓子店をひらいた。それまでどんたくの道囃子は地唄の『黒髪』『おりてゆく』などの合の手を弾いていたが、日露戦後のうきうきムードの中では地味すぎた。そこで平兵衛さんがこの歌に東京の”さわぎ”を道行風に編曲し、現在の『ぼんち可愛いや』になった。
「一度は気やすめ二度はうそ」「もうしもうし車屋さん」の歌詞は大正時代の中期に作られた。

画像:博多どんたくの歌の歌詞

どんたくメインテーマ「ぼんち可愛いや」の新バージョンの音源

各曲とも1分の視聴版となります。
曲名をクリックすると別窓でプレイヤーが開きます。
曲の読み込みに時間がかかることがございます。ご了承ください。

  • どんたく若衆
  • リズミック・どんたく(カウント有り)
  • どんたくHip
  • どんたく若衆(イントロ太鼓)
  • リズミック・どんたく(カウント無し)
  • Zon Dag Funk
    編曲:日下部徳一郎
    指揮:藤重佳久
    演奏:精華女子高等学校吹奏楽部
    制作:福岡市民の祭り振興会 若者委員会
  • Zon Dag Samba
    編曲:日下部徳一郎
    指揮:藤重佳久
    演奏:精華女子高等学校吹奏楽部
    制作:福岡市民の祭り振興会 若者委員会
  • Zon Dag Reggae
    編曲:日下部徳一郎
    指揮:藤重佳久
    演奏:精華女子高等学校吹奏楽部
    制作:福岡市民の祭り振興会 若者委員会